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PROVIDENCE - 長谷川幾与

Art Fair Tokyo 2025

3/6 (Thu) ~ 3/9 (Sun)

VIPプレビュー:
2025年3月6日(木)11:00 ~ 19:00

一般会期:
2025年3月7日 (金) 11:00 ~ 19:00
2025年3月8日 (土) 11:00 ~ 19:00
2025年3月9日 (日) 11:00 ~ 17:00

会場:
東京国際フォーラム
ホールE/ロビーギャラリー
〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目5番1号

ブース:S016

A LIGHT HOUSE CALLED KANATA A LIGHT HOUSE CALLED KANATA

宗教の垣根を超えた崇高な存在を自身の方法でいかに表現するか、

ということが私の制作の根幹にある。

筆が赴くままに描いている時だけ、

自己を超えられる気がしている。

日本画で使用する天然岩絵具、とりわけ群青と緑青は、

長い年月をかけて形成された鉱物であるがゆえ、

代えがたい存在感を放つ。

日本画の画材を扱うには何年もの修練が必要で、

その繊細さに頭を悩ますことも多いが、

素材の深みは、イメージを的確に表現するために欠かせない。

梵我一如という言葉が示すように、

私に内在するビジョンを視覚化することが、

最終的に誰かの心に小さな灯火をともすことができればと願う。

長谷川幾与

長谷川幾与論

ア・ライトハウス・カナタ |青山和平

 

「芸術は絶対に自由なり、其の様式もまた絶対なり、神経も理知も感覚 も音も香も色彩も光も欲望も運動も圧力も――更らに総てのものの最 後として真実の生命そのものも、一物として、芸術の内容たり得ざるは 無く、如何なる素材も、如何なる様式も、創造の途に無用なるものなし」

神原泰 著「第一回神原泰宣言書」より(1920年)

幼い頃より人を観察するのが好きだった。歩き方、立ち方、髪型や服装、鞄 や鉛筆の持ち方。笑顔。さりげない仕草まで、その人の全てが瞬時に分か る気がした。生き様は容易に隠せない。作品もしかり。真に無作為な作品 など存在しない。無作為に見せかける事こそ、作為的である。ただ、作家が 描く線は嘘をつかない。直線であっても、曲線であっても、造形作家であっ ても、画家であっても、私には伝わるのだ。人の真、モノの真。一見して。

はじめて長谷川幾与さんの作品を見たのは2019年の春であった。当時、 初出展する同年6月のアートフェアMasterpiece London展に向け、私はあ る問題に直面していた。立体作品を出品してはいけないという俄か信じ 難い縛りを出展の条件にされてしまったのだ。当時のギャラリーは立体 が8割以上を占める程であって、画家は朝倉隆文、三鑰彩音、佐藤健太郎、 そして前田正憲の4人しか所属していなかった。その為、立体作品が出せ ないという事は、まさに飛車角落ちのハンディであり、致命的であった。 困ったものだ。

画家を急遽増員したくとも、共感する作家は一握り。まして平面作家は、立 体中心の当時のギャラリーの門を叩く物好きなど居やしない。しかし、作品 選考に苦心していた頃、ある作家のことをふと思い出した。SNSで投稿す る度に「いいね」を押してくれる画家で、その方のSNSを見る度に、直ぐに伝わった。人の真、モノの真。私は直感的に、その作家が醸す「空気感」に強く 惹かれた。その画家こそ、長谷川さんであった。

当時の長谷川さんの画風は今ほど洗練されていなかったが、一見して 長谷川さんが他の画家と違う雰囲気が漂っているのは直ぐに伝わった。 そう、「漂う」という表現は長谷川作品にとても良く合うのだ。彼女が描く 世界は程よいアンビバレンスが流れており、具象的な抽象表現、あるいは 抽象的な具象表現を描いていた。しかし、私には分かった。長谷川さんが 描こうとしているものは、ただただ心象風景ではないことに。直ぐに彼女 へ連絡し、埼玉のアトリエを訪れ、旧作「adoration」と「ephemera」を選ばせてもらい、ロンドンへと旅立った。 長谷川さんとカナタとの物語はこの二作品から始まった。そして、まるでおとぎ話のように、「ephemera」はVIPプレビュー開始直後に、どの作品よりも真っ先に、著名なF1チームのオーナーへ売約となった。そして、 「adoration」も同様、プレビューの開始数時間後に、メトロポリタン美術 館の現代アート部門の理事の目に留まり、直ぐさま売れてしまった。鮮烈なデビューであったと言っても過言ではない。

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瞬く間にア・ライトハウス・カナタの中心的存在となった長谷川幾与さん。あのMasterpiece展に出品した二作品が、今の長谷川作品の「原点」に思う。 「adoration」をより進化させられないか。カナタの為に初めて描き下ろした 作品が2019年の秋から冬に掛けて完成した「into the deep」であっ た。「adoration」に映る月の存在を消すことができれば、新境地が開けるの ではなかろうか。闇夜の霧が開き、長谷川さんの真骨頂とも言える余白が匂わす、神秘に包まれた夜明け「into the deep」に、私の魂が震えた。

そして「into the deep」に続き描き下ろされた2020年「the sanctuary」(fig. 4)。 名の如く「、聖域」と題された作品に、まるで得体の知れない何かが、長谷川 さんの中で動き始めている気がした。開眼と呼ぶべきものか、いや、慧眼 とも呼ぶべき、確かなる「変化」を感じるようになった。長谷川さんは心 象風景を描いている訳ではないことに。より大きな「何か」を掴み始めた 長谷川さん。宗教が生まれる前の遥か古の人々の想い、今は無き存在や 実態を見抜き、感じ取り、彼女の筆を伝い、和紙の上に乗り移っているよ うであった。人類が太古より、人間だからこそ感じて来られた無数の感 情。生きる喜び。悲しみ。神的存在に縋る想い。情熱や慈愛。恋愛。惜別。 そこに確かに存在するけど、見えない何かに誘われるように、長谷川さん はチャンネルを広げ、感じ取り、汲み取り、水と墨や岩絵具といった道具 を駆使し、見えない世界を見えるようにしているのだ。あたかも、人類が 辿ってきた様々な想いを背負う「伝道師」に思えた。も う 一 方 の M a s t e r p i e c e 作 品 の「 e p h e m e r a 」こ そ 、複 数 枚 の パ ネ ル を 離

して展示する様式の起源となり、長谷川さんの代表的シリーズである 「l’effervescence」と「providence」へと繋がった。黄金の煌めきに群青の 美しさが重なり合った初代「l’effervescence」(2021年)は、長谷川作品の一 つの金字塔となり、特に思い出深い作品でもある。作品名の由来は、まさ にレフェルヴェセンス。水が沸々と水蒸気へと変わりゆく様を捉えている 言葉であり、形あるものが溶け、蒸発して空へと向かう様に。私は神々しい聖人たちの存在を、一つ一つ立ち並ぶそれぞれのパネルの中に感じた。 確かに、この頃から長谷川さんは仏教美術に深く傾倒するようになり、京 都や奈良の仏閣を訪れ、各地に宿る神秘を描いてきた。そしてその延長 線として、明確な仏像や仏教と切り離され、その土地を取り巻く空気や自然を描いたのが「providence」シリーズである。「l’effervescence」が縦 の動きを意識したものであれば「providence」は横の動きに重点を置く。 そして、「the sanctuary」で汲み取られた人々の想いがその土地に残るよ うに、「providence」は脈々と受け継がれるその想いを、作品そのものに宿 す。故に、「楽園」と名付けられる。

そして文字通り「解放」という意味を秘めた「deliverance」シリーズは、長 谷川さんの未来を紐解くシリーズでもあるように思う。何せ、この作品は 今までのシリーズと一線を画し、雑念を一蹴し、相当な集中力を要して、 大胆に筆を走らす作品である。今までの外的影響からの解放宣言をまる で具現化したこのシリーズこそ、より長谷川さん自身の心の動きを捉え た連作ではなかろうか。宗教や他人の想いを汲むのではなく、自分自身 の深い深層心理に眠る心象へと移り変わる様。実は今回の個展は、この 課題を作家本人に突き付け、その壁を乗り越える為の転機になると期待 する。

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「描くという行為そのものに興味が無い。何か再現するとか、手を動かす ことには喜びを感じない。インスピレーションと繋がっている時しか、い い絵が描けないし、納得がいかない。」

長谷川さんは、ただただ「宗教や神々や人類感情」を背負った「receptacle (器)」としてではなく、「伝道」だけでは現せない、言葉にできない何かが 今、長谷川幾与の中で揺らぎ始め、彼女を突き起こしているのではない か。それは、より深い深層心理の中から生まれくる創造が、アートフェア東 京にて展示される最大作品を生み出すきっかけとなった。葛藤のなか、外 的要素からの真の解放を目指す作家が新たに生み出す4枚パネルで構成 された、この時点でまだ名の無き作品が、長谷川さんがやがて辿るであろう、新たな方向性への道標となる。

「眠りの中、四種類の景色が見えた。私は海の上の船乗り。戦の最中、ニケ が舞い降り、船頭に立った勝利の女神。これは、自分のなかで、神が空か ら降りてくる風景が見え、光が降り注ぐその光景が余りにも美しく、なん の象徴かは分からないが、人々は必ず乗り越えられる希望を見た。」

冒頭に抜粋した、神原泰氏が1920年に執筆した「第一回神原泰宣言書」 が脳裏を過った。長谷川さんの制作過程と葛藤は、多くのカナタの作家 の底流に流れる想いを感じる。素材の本質や創作の瞑想的過程を重視す ることで、政治的またはイデオロギー的手段として再利用しがちな現代 アートの潮流に挑み、その抽象性を通じて、存在の本質について深い省 察を促す場を築くこと。この考えこそ、「抽象超越主義」という信念へと結 実する。

2025年の弥生月にて繰り広げられる、アートフェア東京で解き放たれた日 本画家・長谷川幾与の個展「PROVIDENCE」。彼女の新たな楽園の始ま りを、ぜひともお楽しみください。

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